プロ野球史上初の通算3000安打を達成し、「安打製造機」の異名で知られた張本勲さん。現役引退後も『サンデーモーニング』の「喝!」「あっぱれ!」で親しまれてきましたが、2026年9月9日に東京都内の病院で亡くなりました。86歳でした。
張本勲さんについては「自宅はどこ?」「田園調布に住んでいたの?」と気になっている人も多いようです。添付されたラッコキーワードCSVでも「張本勲 自宅」は月間検索数480となっており、「張本勲 自宅 田園 調布」という関連語も確認できます。
結論からいうと、信頼できる報道では張本勲さんの自宅は東京都大田区内にあり、長嶋茂雄さんの自宅から徒歩約5分だったことが確認されています。一方、田園調布に自宅があると紹介する公開資料も複数ありますが、張本勲さん本人や所属団体が詳しい住所を公式プロフィールとして公表したわけではありません。この記事では、自宅が田園調布といわれる理由や長嶋茂雄さんとのご近所エピソード、家族との自宅生活に加え、亡くなった日時や現在分かっている死因・病気についても詳しく見ていきます。
張本勲の自宅は田園調布?大田区内だったことは報道で判明
張本勲さんの自宅について、まず確認できる範囲から結論を見てみましょう。
張本勲さんが東京都大田区内に自宅を構えていたことは、スポーツ紙の報道で確認できます。さらに、親交が深かった長嶋茂雄さんとは自宅同士が徒歩約5分の距離だったことを、張本勲さん自身が明かしていました。
一方、「田園調布」という地域名については、田園調布を紹介する街歩き資料などで張本勲さんの邸宅がある人物として名前が挙げられています。
したがって、「張本勲さんの自宅は大田区内」は報道で確認でき、「田園調布にあった」とする情報も複数存在するというのが、確認できる情報に沿った答えになります。
自宅は東京都大田区内とスポニチが報道
張本勲さんの自宅について特に信頼できる情報が出たのは、2025年6月に長嶋茂雄さんが亡くなった際です。
スポニチは、張本勲さんと長嶋茂雄さんについて、同じ東京都大田区内に住み、お互いの自宅は徒歩で約5分の距離だったと報じています。張本勲さん本人も、長嶋茂雄さんとの思い出を振り返るなかで、自宅がすぐ近くだったことを明かしていました。
別の『サンデーモーニング』出演時にも、張本勲さんは「家から5分で長嶋さんの家がある」と話し、サンダル履きで長嶋家を訪ねるほど近かったことを明かしています。
球界を代表する2人のレジェンドが、現役時代だけでなく引退後にはご近所同士として生活していたというのは興味深い話ですよね。
張本勲の自宅が田園調布といわれる理由
では、なぜ「張本勲 自宅 田園調布」という情報が広がっているのでしょうか。
田園調布を扱った複数の街歩き資料では、著名人の邸宅がある地域として長嶋茂雄さんらとともに張本勲さんの名前が紹介されています。田園調布を実際に歩いた個人の記録でも、張本勲さんの自宅として紹介されている建物があります。
さらに、張本勲さん本人が語った「大田区内」「長嶋茂雄さん宅から徒歩5分」という情報とも大きく矛盾しません。長嶋茂雄さんが田園調布に長く自宅を構えていたことは広く知られているため、こうした情報が組み合わさって「張本勲さんの自宅=田園調布」と認識されるようになったのでしょう。
ただし、ここは分けて考える必要があります。
「東京都大田区内」「長嶋茂雄さん宅から徒歩約5分」という点は本人発言を含むスポーツ紙報道で確認できますが、詳細な住所について張本勲さんが公式に公開していたわけではありません。
そのためこの記事では、番地など自宅を特定できる情報までは扱いません。
長嶋茂雄とは自宅から徒歩5分のご近所だった
張本勲さんの自宅を語るうえで外せないのが、長嶋茂雄さんとの関係です。
張本勲さんは1976年、日本ハムから巨人へ移籍しました。当時の巨人監督が長嶋茂雄さんで、王貞治さんとともに強力な打線を形成。球場を離れてからも2人の交流は続きました。
引退後は大田区内の自宅が徒歩約5分という近さになり、多摩川の河川敷を一緒に散歩することもあったそうです。張本勲さんは2025年に長嶋茂雄さんをしのび、自宅からサンダルを履いたまま訪ねることがあったほど身近な存在だったと振り返っています。
巨人時代の同僚というだけでなく、何十年にもわたって私生活でも付き合いが続いていたことが分かります。
張本勲は自宅でどんな生活をしていた?家族とのエピソードも
張本勲さんは野球について数多くの発言を残した一方、自宅や家族について詳しく語る機会はそれほど多くありませんでした。
それでも、過去のインタビューなどからは、自宅が単なる休息の場所ではなく、現役時代には野球と向き合い続ける場所でもあったことが分かります。
現役時代は自宅でも夜中に素振り
張本勲さんらしい自宅でのエピソードが、2025年にTBS NEWS DIGで紹介されています。
現役時代、試合で打てなかった日は帰宅後も気持ちを切り替えることが難しく、寝床に入ってから翌日の対戦投手が気になり、夜中に突然バットを持って素振りをすることがあったといいます。
通算3085安打を記録した張本勲さんと聞けば、生まれ持った打撃の才能を想像する人もいるかもしれません。しかし、自宅に帰ってからもバットを振り続けたエピソードを見ると、記録の裏側には相当な練習量があったことが伝わってきます。
張本勲さん自身も素振りを打者の基本として非常に重視しており、後年のコラムでも毎日の反復練習の重要性を語っていました。
妻と幼い娘たちに素振りする姿を見せないよう寝室を分けた
自宅での素振りには、家族にまつわるエピソードもあります。
TBS NEWS DIGによると、張本勲さんは夜中にバットを振る自分の姿を幼い娘たちが見て驚かないよう、妻や娘たちとは寝室を別にしていたといいます。
グラウンドでは厳しい勝負師として知られ、引退後も「喝!」のイメージが強かった張本勲さんですが、自宅では家族への気遣いも見せていました。
張本勲さんの妻や娘たちは一般人で、氏名や職業など詳しい情報は広く公表されていません。家庭について必要以上に表へ出さなかったことも、張本勲さんの私生活に関する情報が少ない理由の一つです。
自宅近くの多摩川を長嶋茂雄と散歩していた
引退後の張本勲さんにとって、自宅周辺は長嶋茂雄さんとの交流の場にもなりました。
張本勲さんによると、多摩川河川敷の朝の散歩コースが長嶋茂雄さんと同じだったため、一緒に歩くことがあったそうです。
現役時代には監督と選手という関係も経験した2人ですが、その後は自宅を行き来したり、散歩や旅行をしたりする仲になりました。
2025年6月に長嶋茂雄さんが亡くなった際、張本勲さんが深い喪失感を語っていたのも、長年にわたるこうした付き合いがあったからなのでしょう。
張本勲は2026年9月9日に86歳で死去|死因や病気は公表された?
自宅について調べている人のなかには、2026年9月10日に伝えられた訃報をきっかけに張本勲さんを検索した人もいるでしょう。
張本勲さんは2026年9月9日、東京都内の病院で亡くなりました。86歳でした。日本プロ野球名球会も翌10日に訃報を発表しています。
| 項目 |
内容 |
補足 |
| 名前 |
張本勲(はりもと・いさお) |
元プロ野球選手・野球解説者 |
| 生年月日 |
1940年6月19日 |
広島県出身 |
| 死亡日 |
2026年9月9日 |
名球会が発表 |
| 年齢 |
86歳 |
2026年6月に86歳 |
| 死亡場所 |
東京都内の病院 |
TBS・FNNなどが報道 |
| 死因 |
9月10日時点で具体的な公表確認できず |
病名の断定はできない |
| 主な記録 |
通算3085安打 |
日本プロ野球最多記録 |
| 最後期の活動 |
ドリームマッチ、『サンデーモーニング』など |
2026年夏も公の場に登場 |
亡くなったのは9月9日午後
日本プロ野球名球会は、張本勲さんが2026年9月9日午後に亡くなったと発表しました。TBS NEWS DIGやFNNプライムオンラインは、関係者の話として午後5時ごろ、東京都内の病院で亡くなったと報じています。
9月10日に訃報が広く伝えられたため、10日が死亡日と受け取られる可能性がありますが、確認できる発表では死亡日は9月9日です。
亡くなった場所は「東京都内の病院」とされています。病院名については主要報道で明らかにされていません。
張本勲の死因は公表されている?
2026年9月10日時点で確認した日本プロ野球名球会の発表を紹介する報道、TBS、FNN、テレビ朝日、共同通信系の訃報では、具体的な死因や病名は伝えられていません。
そのため、「張本勲さんは何の病気で亡くなったのか」という疑問については、現段階では病名を特定できません。
東京都内の病院で亡くなったという事実だけから、がん、心疾患、脳血管疾患など特定の病気だったと結びつける根拠もありません。
張本勲さんの年齢が86歳だったことや、過去に体調を心配する声が出たことは、死因を示す情報にはならないため分けて考える必要があります。
「原爆症がいつ出るかわからない」と語っていたが死因とは確認されていない
張本勲さんは5歳だった1945年8月6日、広島で原爆に遭いました。
2025年のJNNの取材では、爆心地から約2キロの場所で被爆した体験を振り返り、プロ野球選手として活動していた時期にも原爆症がいつ現れるか分からないという不安を抱いていたことを語っています。
ただし、これは張本勲さんが長年抱えていた被爆後の不安について語ったものです。
2026年9月の訃報で「原爆症が死因だった」と発表されたわけではありません。被爆歴と今回の死去を直接結びつけることはできません。
張本勲さん自身が被爆体験について語るようになったのは晩年になってからで、若い世代へ戦争の記憶を伝えることにも力を入れていました。
右手の障害は幼少期の大やけどによるもの
張本勲さんの「病気」や「障害」について調べると、右手についても情報が出てきます。
野球殿堂博物館は、張本勲さんが幼年期の大やけどによって右手に不自由を負っていたことを公式プロフィールで紹介しています。それでも左投げ左打ちの外野手としてプロ野球界を代表する打者となりました。
これは今回の死因とは別の話です。
幼少期から右手に不自由があったことは公表されていますが、その障害が晩年の体調や2026年の死去につながったとする発表は確認されていません。
「激ヤセして病気では?」という声もあったが病名は確認されていない
亡くなる以前から、インターネット上では張本勲さんの外見を見て「痩せたのではないか」「病気ではないか」と心配する声が出ていました。
しかし、体重や顔つきの変化だけから病名を判断することはできません。
張本勲さん本人や名球会などから、「この病気で療養している」「この病名の治療を受けている」といった発表が確認されていない以上、ネット上で挙げられた病名を事実として扱うことはできません。
特に今回の訃報を受けて、過去の外見の変化と死因を結びつける情報が増える可能性がありますが、2026年9月10日時点で公表されている内容とは分けて見る必要があります。
張本勲は死去直前まで活動|2026年夏にも元気な姿を見せていた
張本勲さんは『サンデーモーニング』のレギュラー出演を2021年末で終えましたが、その後も野球界から離れたわけではありませんでした。
名球会の活動やテレビへの特別出演、野球イベントなどに参加し、2026年夏にも公の場へ姿を見せています。
7月27日のサントリードリームマッチに参加
2026年7月27日に東京ドームで開催された「サントリードリームマッチ2026」では、張本勲さんはザ・プレミアム・モルツ球団のGMとして参加しました。
サントリーの公式サイトにも、張本勲さんが86歳でGMとして出場メンバーに入っていたことが掲載されています。
さらに試合では代打としてバッターボックスにも立ち、大きな拍手を受けました。
亡くなる約1か月半前まで野球イベントに参加していたことになります。
ただし、公の場に出演していたことだけで「病気ではなかった」「健康だった」と判断することもできません。死因や直前の体調については、公表されている情報が限られています。
8月2日には『サンデーモーニング』にも出演
2026年8月2日には、『サンデーモーニング』のスポーツコーナーにスペシャル御意見番として出演し、上原浩治さんと共演しています。番組公式SNSでも出演が告知されていました。
レギュラーを離れてからも、節目には「スペシャル御意見番」として番組に戻っていた張本勲さん。
長年見てきた視聴者にとっては、8月までテレビに出演していた人物の訃報が9月に届いたことに驚いた人も多かったのではないでしょうか。
現時点では長期間の闘病生活や入院時期なども詳しく伝えられていません。
通算3085安打は今も日本プロ野球最多
張本勲さんの名前を球史に残した最大の記録が、通算3085安打です。
1959年に東映フライヤーズへ入団し、日拓、日本ハム、巨人、ロッテで23年間プレー。2752試合に出場し、3085安打、504本塁打、1676打点、打率.319という成績を残しました。首位打者は7回、新人王、MVP、ベストナイン16回など数々のタイトルを獲得しています。
1980年5月28日には史上初となる通算3000安打を達成しました。野球殿堂博物館には、この3000安打を達成した際に使用したバットも収蔵されています。
テレビでの「喝!」の印象から張本勲さんを知った世代も多いですが、現役時代の数字を見ると、改めて日本野球史を代表する打者だったことが分かります。
張本勲の自宅・死去・病気に関するまとめ
- 張本勲さんの自宅が東京都大田区内にあったことはスポーツ紙の報道で確認できる
- 張本勲さん自身が長嶋茂雄さんの自宅まで「家から5分」と明かしていた
- 多摩川河川敷では長嶋茂雄さんと一緒に散歩することもあった
- 「張本勲の自宅は田園調布」と紹介する複数の公開資料がある
- ただし、詳しい自宅住所を張本勲さん本人が公式プロフィールとして公表していたわけではない
- 現役時代は自宅でも夜中に素振りをするほど野球に打ち込んでいた
- 妻や幼い娘たちを驚かせないため寝室を分けていたというエピソードも残っている
- 張本勲さんは2026年9月9日、東京都内の病院で亡くなった。86歳だった
- TBSやFNNは9月9日午後5時ごろに亡くなったと報じている
- 2026年9月10日時点で具体的な死因や病名は主要報道で明らかにされていない
- 被爆者として「原爆症がいつ出るかわからない」という不安を語っていたが、原爆症が今回の死因だったとの発表はない
- 2026年7月のサントリードリームマッチ、8月2日の『サンデーモーニング』にも出演していた
張本勲さんの自宅については、少なくとも大田区内で長嶋茂雄さん宅から徒歩約5分という本人発言を伴う情報があり、田園調布に自宅があったとする資料ともつながります。球場だけでなく、自宅周辺でも長嶋茂雄さんと何十年にもわたる交流を続けていたエピソードは、張本勲さんの晩年を知るうえでも印象的です。
そして2026年9月9日、86歳でその生涯を閉じました。死因は現時点で具体的に公表されていないため、過去の被爆歴や外見の変化から特定の病気だったと断定することはできません。通算3085安打という大記録だけでなく、引退後も野球を語り続け、最後の夏まで球界とのつながりを持ち続けた姿も、張本勲さんが残した大きな足跡の一つです。