倉本聰の妻は女優・平木久子!劇団「仲間」で出会い27歳で結婚|富良野で支えた夫婦生活
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家族・結婚
ドラマ『北の国から』『前略おふくろ様』『やすらぎの郷』など、数多くの作品を生み出した脚本家・倉本聰さん。2026年9月18日に多臓器不全のため91歳で亡くなり、9月28日に訃報が公表されました。
そんな倉本聰さんについて気になるのが、「妻は誰なのか」「どんな女性と結婚したのか」という点ではないでしょうか。倉本聰さんの妻は、長年舞台を中心に活動してきた女優の平木久子(ひらき・ひさこ)さんです。若いころに劇団「仲間」で知り合い、倉本さんが27歳のときに結婚しました。
倉本聰さんが北海道・富良野へ生活の場を移した後には、平木久子さんも東京から富良野へ移っています。この記事では、妻・平木久子さんのプロフィールや女優としての活動、2人の出会いと結婚、富良野での夫婦生活、子供に関する情報まで詳しく見ていきます。
倉本聰の妻は女優・平木久子
倉本聰さんの妻は、舞台女優として活動してきた平木久子さんです。
平木久子さんは演劇の世界で活動し、演劇集団円に所属していた女優として紹介されています。倉本聰さん自身も学生時代から演劇に深く関わっていたため、2人の出会いも演劇がきっかけでした。
倉本聰さんといえば、脚本家として表舞台に名前が出る機会が非常に多い人物ですが、妻の平木久子さんはテレビに頻繁に出演するタイプの女優ではありません。そのため、「倉本聰の妻は誰?」と気になった人も多いのでしょう。
妻・平木久子のプロフィール
| 項目 | 内容 | 補足 | 名前 | 平木久子 | ひらき・ひさこ | 職業 | 女優 | 舞台を中心に活動 | 所属 | 演劇集団円に所属歴 | 舞台作品に出演 | 夫 | 倉本聰 | 脚本家・劇作家・演出家 | 出会い | 劇団「仲間」 | 若いころに知り合う | 結婚時期 | 倉本聰さんが27歳のころ | 本人取材で確認 | 生活拠点 | 東京から北海道・富良野へ | 倉本さんの移住後に合流 |
|---|
平木久子さんについては、生年月日や詳しい私生活など、広く公式発表されていない情報もあります。
一方、女優として舞台に出演していたことは演劇資料から確認できます。2003年に演劇集団円が上演した『アトリエ』では、「マダム・ローランス」役として平木久子さんの名前が記録されています。
夫が日本を代表する脚本家だからといって、その妻が単に家庭を支えていただけではありません。平木久子さん自身も演劇の世界で活動してきたことは、倉本夫妻を知るうえで大切なポイントだと感じます。
倉本聰と妻・平木久子の馴れ初めは劇団「仲間」
倉本聰さんと平木久子さんが出会った場所は、劇団「仲間」でした。
倉本さんは東京大学入学後、勉強だけに打ち込んでいたわけではなく、アルバイトをしながら劇団「仲間」の文芸部に所属。脚本の習作を次々に書いていたといいます。
そして、ほぼ同じ時期に劇団「仲間」に入ってきたのが平木久子さんでした。
大学時代の演劇活動を通じて知り合った
倉本聰さんは東京大学文学部で学ぶ一方、映画や演劇に強い関心を持っていました。
大学時代にはすでに脚本を書くことに夢中になっており、劇団「仲間」の文芸部で活動しています。そこで女優として演劇に取り組んでいた平木久子さんと出会いました。
つまり、倉本夫妻の関係は「有名脚本家と女優が仕事で出会った」というよりも、まだ倉本聰さんが現在のような大脚本家になる前から始まっていたことになります。
後年の成功だけを見ると華やかな夫婦に見えますが、出会ったころは2人とも演劇の世界で自分たちの道を歩き始めた若者でした。ここは夫婦関係を考えるうえで、とても印象的な部分です。
倉本聰が27歳のときに結婚
2人はその後交際し、倉本聰さんが27歳のときに結婚しました。
週刊女性PRIMEによる倉本聰さんの人物ドキュメントでも、「妻の平木さん」と劇団でほぼ同時期に出会い、倉本さんが27歳のときに結婚したことが紹介されています。
倉本聰さんは1934年12月31日生まれです。27歳のころというと、脚本家として本格的に歩み始めた時期と重なります。
後に『北の国から』をはじめ日本のテレビドラマ史に残る作品を数多く手掛けることになりますが、その長い創作人生のかなり早い段階から、平木久子さんが妻としてそばにいたことになります。
妻・平木久子も舞台女優として活動
平木久子さんは、「倉本聰の妻」としてだけ知られている女性ではありません。
自身も女優として活動し、特に舞台を中心に演劇の世界を歩んできました。
演劇作品のデジタルアーカイブ「EPAD」には、平木久子さんの出演記録が残されています。2003年5月に演劇集団円が上演した『アトリエ』では、平木さんが出演者として名を連ねています。
演劇集団円で舞台に出演
演劇集団円は1975年、劇団「雲」から芥川比呂志さんを中心に独立して発足した演劇集団です。
平木久子さんは同劇団に所属する女優として紹介されてきました。
倉本聰さんの脚本は、人物の細かな感情や会話、日常の何気ない場面を非常に大切にしています。一方、平木久子さんは実際に舞台で役を演じる側でした。
脚本を書く人と、それを演じる人。夫婦で立場は異なりますが、共通して長く演劇の世界に身を置いていたことが分かります。
倉本作品の人物描写が平木さんの影響を受けたと断定できる資料は確認できません。しかし、演劇を理解する妻がそばにいたことは、倉本聰さんにとって独特の夫婦関係だったのではないかと感じます。
倉本聰が富良野へ移住した後に妻も合流
倉本聰さんの人生を大きく変えたのが、北海道・富良野での生活です。
倉本さんは1977年に北海道へ生活の場を移し、その後、富良野を舞台にした『北の国から』『優しい時間』『風のガーデン』などを生み出しました。公式ホームページでも、1977年に富良野へ移住したことが紹介されています。
ただし、最初から妻・平木久子さんと一緒に移住したわけではありませんでした。
当初は倉本聰が先に北海道へ
週刊女性PRIMEの倉本聰さんへの取材によると、富良野へ移った当初、平木久子さんは東京にいました。
倉本さんは、それまで暮らしていた東京とは大きく異なる富良野の自然と向き合いながら生活を始めます。
そしてしばらくした後、東京にいた妻・平木久子さんも富良野で一緒に暮らし始めました。
ここは「倉本聰の妻」を知るうえで特に重要なエピソードです。
すでに舞台女優として東京で活動していた平木久子さんにとって、生活拠点を北海道へ移すことは小さな変化ではなかったはずです。
富良野での生活が『北の国から』にもつながった
倉本聰さんは、富良野で自然の厳しさや地元の人々の暮らしに触れました。
特に、知識よりも生活の知恵を使って厳しい自然を乗り越える北海道の人々に強い感銘を受けたと語っています。こうした経験が、後の『北の国から』につながっていきます。
平木久子さんもその富良野生活をともにした妻でした。
倉本聰さんの作品では、夫婦、親子、家族のすれ違いや結びつきが何度も描かれています。
もちろん「妻との生活がそのまま作品になった」と断定することはできません。しかし、東京から富良野へ移り、厳しい自然環境の中で長く暮らした夫婦の経験が、倉本さんの人生と創作を考えるうえで無関係だったとは考えにくいでしょう。
倉本聰と妻・平木久子に子供はいる?
倉本聰さんの妻について調べると、「子供」「娘」という話題も出てきます。
ここについては、ネット上の記事だけを読むと情報が食い違っているため、慎重に見る必要があります。
倉本聰本人は「僕には子どもはいません」と発言
2022年に朝日新聞系メディア「好書好日」が掲載した倉本聰さんのインタビューでは、倉本さん本人が「僕には子どもはいません」と語っています。
そのため、少なくとも平木久子さんとの間に実子がいると断定することはできません。
妻・平木久子は倉本聰を長年そばで支えた存在
倉本聰さんと平木久子さんは、若いころに同じ劇団で知り合い、倉本さんが27歳のころに結婚しました。
その後、倉本さんはラジオ、テレビ、映画、舞台と活動の場を広げ、日本を代表する脚本家の一人となります。
平木久子さんも女優として演劇活動を続けながら、後には富良野へ移り、夫婦で北海道での生活を送りました。
脚本家と女優という演劇に生きた夫婦
2人の関係で興味深いのは、夫婦ともに演劇の世界から出発している点です。
倉本聰さんは「書く側」、平木久子さんは「演じる側」。
それぞれ立場は違っていても、演劇という共通する世界を持っていました。
倉本さんは登場人物を作る際、一人ひとりに詳しい履歴書を作ることで知られています。人物の生い立ちや背景まで設定し、一場面しか登場しない人物にも人生があると考えていました。
その徹底した人物観察から、『北の国から』をはじめ、家族や人間関係を深く描いた作品が生まれています。
妻が女優として長年「人物を演じる仕事」に携わっていたことを知ると、倉本夫妻がともに過ごしてきた時間にも、演劇という共通言語があったのだろうと感じます。
2026年9月に倉本聰が91歳で死去
倉本聰さんは2026年9月18日夕方、多臓器不全のため自宅で亡くなりました。91歳でした。
NPO法人富良野自然塾は9月28日、倉本さんの死去を公式に発表しています。
『北の国から』だけでなく、『前略おふくろ様』『優しい時間』『風のガーデン』『やすらぎの郷』『やすらぎの刻~道』、映画『海の沈黙』など、長い創作人生の中で数多くの作品を残しました。
その人生のかなり早い時期から妻として歩みをともにしてきたのが平木久子さんです。
テレビでは倉本聰さん本人の姿を見ることのほうが多かったため、妻についてはあまり知られていません。しかし、劇団時代から始まり、東京、そして富良野へと続く2人の歩みを見ると、非常に長い時間をともにしてきた夫婦だったことが分かります。
倉本聰の妻・平木久子についてのまとめ
- 倉本聰さんの妻は舞台女優の平木久子さん
- 平木久子さんは演劇集団円に所属した女優として知られている
- 2人の出会いは若いころに活動していた劇団「仲間」
- 倉本聰さんは劇団「仲間」の文芸部で脚本を書いていた
- 平木久子さんもほぼ同じ時期に劇団へ参加した
- 倉本聰さんが27歳のときに2人は結婚した
- 倉本さんが先に北海道へ移った後、平木久子さんも富良野で一緒に暮らし始めた
- 平木久子さん自身も舞台女優として長く活動していた
- 子供について倉本聰さん本人は2022年に「僕には子どもはいません」と発言している
- 倉本聰さんは2026年9月18日に多臓器不全のため91歳で死去した
- 平木久子さんは、倉本聰さんが有名脚本家になる前から人生をともにしてきた妻だった
倉本聰さんと平木久子さんは、脚本家と女優という立場で演劇の世界に関わりながら長い年月を歩んできました。
『北の国から』をはじめ、倉本聰さんが描いてきた作品には家族や夫婦、人と人とのつながりが繰り返し登場します。妻・平木久子さんとの長い生活を知ると、倉本作品を見る際にもまた違った印象を受けるのではないでしょうか。
参考・出典
・週刊女性PRIME「人間ドキュメント・倉本聰|大学2年で脚本家デビュー」
倉本聰さんと平木久子さんが劇団「仲間」で出会い、27歳で結婚した経緯を確認。週刊女性PRIMEの記事
・週刊女性PRIME「人間ドキュメント・倉本聰|あの人気ドラマの始まりは“怒り”だった」
妻・平木久子さんが東京から富良野へ移り、一緒に暮らし始めた経緯を確認。週刊女性PRIMEの記事
・EPAD 作品データベース「平木久子」
平木久子さんの舞台出演歴を確認。EPAD 平木久子プロフィール
・好書好日「倉本聰さんが語る父、戦争、テレビ界」
倉本聰さん本人による子供についての発言を確認。好書好日のインタビュー
・日本記者クラブ「倉本聰さん 脚本家/ドラマが根を張る本気の追求」
倉本聰さんの脚本制作や人物設定に対する考え方を確認。日本記者クラブの記事
・富良野自然塾「塾長:倉本聰 逝去のお知らせ」
2026年9月18日の死去、死因、享年を確認。富良野自然塾の公式発表
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