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小川真由美の娘は小川雅代!現在57歳のMAH|父・細川俊之や絶縁、徹子の部屋も解説

公開日: : 歌手・アーティスト

昭和を代表する女優として、映画『復讐するは我にあり』や『八つ墓村』、ドラマ『女ねずみ小僧』などで強烈な存在感を残した小川真由美さん。2026年3月26日に86歳で亡くなり、その事実をひとり娘が明かしたことで、親子関係にも改めて注目が集まりました。

小川真由美さんの娘は、MAH(マー)の名前で音楽活動をしている小川雅代さんです。父親も俳優の細川俊之さんという芸能一家に生まれ、女優やモデルを経験した後、現在はギタリスト、ボーカリスト、作家として活動しています。

この記事では、小川雅代さんの年齢やプロフィール、学歴、女優・モデル時代から現在までの経歴を紹介します。あわせて、小川真由美さんとの確執や約10年間の絶縁、父・細川俊之さんとの関係、「徹子の部屋」に出演したという情報についても詳しく見ていきます。

小川真由美の娘は小川雅代!現在はMAHとして音楽活動

小川真由美さんの娘は、小川雅代さんです。小川真由美さんと元夫の細川俊之さんの間に生まれたひとり娘で、2026年8月現在は57歳になっています。

小川雅代さんは、かつて女優やモデルとして活動していました。現在はMAHの名義を使い、パンクロックバンド「JETT SETT」でギターとボーカルを担当しています。

小川雅代のプロフィール

項目 内容 補足
名前 小川雅代 おがわ・まさよ
活動名 MAH 読み方は「マー」
生年月日 1969年5月25日 公開プロフィールによる
年齢 57歳 2026年8月現在
出身地 東京都 JETT SETT公式サイトに記載
職業 ギタリスト・歌手・作家 女優、モデルとしても活動
所属バンド JETT SETT ギターとボーカルを担当
母親 小川真由美 女優
父親 細川俊之 俳優、2011年死去
兄弟姉妹 なし 小川真由美のひとり娘
学歴 高校中退 学校名は公表されていない
デビュー 1985年 舞台『二人のベンチ』
著書 『ポイズン・ママ』 2012年刊行

小川雅代さんは1969年5月25日生まれです。2018年11月の記事で49歳と紹介されていることからも、生まれた年を確認できます。女性自身のインタビューでは、小川真由美さんの「一人娘」と明記されています。

身長や血液型については、本人の公式プロフィールで確認できる情報がありません。結婚や子供についても、広く公表された事実は確認できませんでした。

活動名MAHの読み方は「マー」

小川雅代さんは、芸能活動や音楽活動で「MAH」という名前を使用しています。読み方は「マー」です。

MAHという名前の詳しい由来は公表されていません。アルファベット表記だけを見ると読み方に迷いますが、JETT SETTの公式プロフィールには「MAH(マー)」と記載されています。

本名の小川雅代を隠しているわけではなく、著書や母親について語る際には本名も使用しています。小川雅代とMAHは別人ではなく、同一人物です。

現在はJETT SETTのギター&ボーカル

小川雅代さんは、2004年に結成されたパンクロックバンド「JETT SETT」のメンバーです。ギターとボーカルのほか、作詞、作曲、編曲も担当しています。

JETT SETTは、メロディック・ハードコアや1960年代のガールズグループを思わせるポップな音楽を取り入れたバンドです。2006年にはミニアルバム『Go Ahead』を発売し、その後も東京近郊のライブハウスを中心に活動してきました。

母親も父親も俳優ですが、小川雅代さんは音楽を自分の主な表現手段に選びました。「小川真由美の娘」という肩書きだけではなく、長年活動を続けてきたロックミュージシャンでもあります。

小川真由美の娘・小川雅代の父親は細川俊之

小川雅代さんの父親は、俳優の細川俊之さんです。低く響く声と落ち着いた演技で知られ、俳優だけでなく声優やナレーターとしても活躍しました。

小川真由美さんと細川俊之さんは1967年に結婚し、1969年に雅代さんが生まれました。しかし、雅代さんが幼い頃に夫婦は別居し、1973年に離婚しています。

両親は同じ文学座に所属していた

小川真由美さんと細川俊之さんは、文学座で出会った俳優同士でした。小川真由美さんは1961年に文学座付属研究所へ入り、1963年に映画『母』で映画デビューしています。

細川俊之さんも文学座で舞台経験を積んでおり、2人は1967年に結婚しました。当時は、実力派俳優同士の結婚として注目された夫婦でした。

しかし、結婚生活は長く続かず、雅代さんが2歳頃の時点で別居状態になったと紹介されています。正式な離婚は1973年で、雅代さんは母親側で育つことになりました。

父・細川俊之とは十分に向き合えないまま死別

両親の離婚後、細川俊之さんは女優の藤本典江さんと再婚しました。雅代さんと細川俊之さんの親子関係について、詳しい交流の内容は多く公表されていません。

ただし、雅代さんは2018年のインタビューで、父親も自分と十分に向き合ってくれなかったと振り返っています。細川俊之さんは2011年1月に70歳で亡くなり、雅代さんは父親と関係を修復できなかったことを後悔したと語りました。

その経験があったため、雅代さんは母親との関係についても、このまま終わらせずに向き合いたいという思いを持っていたといいます。両親が有名俳優だった華やかな家族像の裏に、娘として簡単には埋められない距離があったことが分かります。

小川真由美と娘の間に何があった?母娘の確執を解説

小川真由美さんと小川雅代さんの関係は、一般的な仲良し母娘とは大きく異なっていました。雅代さんは2012年に『ポイズン・ママ 母・小川真由美との40年戦争』を刊行し、幼少期から続いた母親との複雑な関係を明かしています。

著書の内容は娘側の体験と認識に基づくものです。小川真由美さん自身の女優としての評価と、母親として雅代さんがどう感じていたかは、分けて受け止める必要があります。

幼少期は母親に引き取られた

雅代さんは、両親が別れた後、小川真由美さんに引き取られました。しかし、小川真由美さんは売れっ子女優として多忙な生活を送っており、雅代さんは母親から十分な世話を受けられない時期があったと語っています。

文藝春秋は『ポイズン・ママ』について、娘が経験したネグレクトや母娘の愛憎を記録した本だと紹介しています。文藝春秋の書籍紹介には、雅代さんが母親との距離を取れないまま長く苦しんできたことも記されています。

こうした内容は、小川真由美さんの演技から受ける堂々とした印象とは大きく異なります。女優として高く評価された姿と、娘が見ていた母親の姿には、かなり大きな隔たりがあったようです。

20歳で家を出て38歳で母親と距離を置いた

雅代さんは20歳頃に実家を出て、仕事をしながらパンクロックバンドを結成しました。しかし、家を出た後も母親からの干渉が続いたと語っています。

38歳頃には、うつ状態やパニック障害によって心身が衰弱し、心療内科医と弁護士から母親に会わないよう助言されたといいます。1カ月で体重が13キロ減るほどの状態だったことが、女性自身のインタビューで明かされました。

雅代さんが母親と距離を置いたのは、単純な反抗や一時的な親子げんかではありませんでした。自身の健康と生活を守るために、専門家の助言を受けて決めたことでした。

『ポイズン・ママ』は関係修復への最後の試みだった

雅代さんは2012年3月、『ポイズン・ママ 母・小川真由美との40年戦争』を刊行しました。題名だけを見ると母親への告発本という印象を受けますが、出版には関係を修復したいという思いもあったと語っています。

雅代さんは、周囲から母親との体験を形に残すよう勧められていました。文章にすることで、自分の中でも過去と向き合えるのではないかと考え、約10年ぶりに執筆を再開したそうです。文藝春秋の対談では、執筆中に感情的になり、ひとりで書き続けることが難しかったことも明かしています。

本を出す前年に父・細川俊之さんを亡くしていたため、母親とは同じ後悔を残したくないという気持ちもありました。しかし、出版後も小川真由美さんとの関係が期待したように変わることはありませんでした。

母娘は約10年間絶縁していた

2026年8月10日、雅代さんは小川真由美さんの訃報を受け、自身のSNSにコメントを投稿しました。その中で、ひとり娘である自分も約10年間、母親と縁を切っていたと明かしています。

雅代さんが小川真由美さんの死を知ったのは、亡くなった3月26日ではなく、約2カ月後の5月18日でした。雅代さんは母親の最期を看取ることも、亡くなる前に仲直りすることもできなかったと記しています。

それでも最後には、母親が残した作品を通して姿に触れられることへ感謝したいとつづりました。母親としての関係には最後まで埋まらない溝があった一方、女優・小川真由美への敬意まで失っていたわけではないことが伝わります。テレビ朝日によるコメント全文の紹介でも、雅代さんは母を「素晴らしい女優でした」と振り返っています。

小川真由美の娘・小川雅代の学歴と芸能活動

小川雅代さんは、芸能人の両親を持ちながら、一般的な進学コースを歩んだ人物ではありません。高校を中退した後、小川真由美さんの付き人をしながら舞台に立ち、女優やモデルとして活動を始めました。

出身小学校や中学校、高校の学校名は公表されていません。ネット上で特定の学校名が書かれる場合がありますが、本人や信頼できる報道で確認できる情報ではありません。

高校を中退して母親の付き人に

雅代さんは高校を中退した後、母・小川真由美さんの仕事を手伝い、付き人のような役割を担っていました。

高校を中退した詳しい理由については、公開されている情報だけで一つに決めることはできません。ただ、幼少期から家庭環境に翻弄され、10代から母親の仕事に関わる生活を送っていたことは、雅代さん本人の経歴や著書から確認できます。

学歴だけを見ると高校中退ですが、その後は舞台、モデル、CM、映画、ドラマ、音楽と幅広い現場で経験を積みました。学校とは異なる場所で、表現するための技術を身につけていった人物だといえます。

16歳で舞台デビュー

雅代さんの女優としての初仕事は、1985年に新宿紀伊國屋ホールで上演された舞台『二人のベンチ』でした。

当初は母親の付き人として現場にいましたが、演出家の目に留まり、眼鏡をかけた文学少女役で出演することになりました。母親の名前だけで用意された出演ではなく、現場で見いだされたことがデビューにつながったと紹介されています。

10代の頃には母親とドラマやバラエティー番組で共演した経験もありました。ただし、その後は母親とは異なる方向へ進み、モデルや音楽活動へ比重を移していきます。

モデルやCM、テレビドラマにも出演

雅代さんは1989年からモデル事務所に所属し、無印良品のカタログやヒロミチナカノのコレクションにモデルとして出演しました。

1990年にはヤクルト「珈琲タイム」のCMで、とんねるずの木梨憲武さんの恋人役を担当しています。「きゅーりのキューちゃん」のCMでは、宍戸開さんの恋人役となる3代目Qちゃんガールを務めました。

1994年公開の映画『プロゴルファー織部金次郎2』や、1996年のテレビ朝日系ドラマ『大江戸弁護人走る!』にも出演。1996年から1997年には、TBS系『湯けむり仲居純情日記』シリーズにも出演しています。

ロックが自分を支える存在になった

雅代さんは2歳からクラシックピアノを習っていましたが、後にギターへ転向しました。YMOやJAPAN、HANOI ROCKSなどを聴きながら、10代の頃から作曲や録音にも取り組んでいたといいます。

母親との関係に苦しんだ時期、ロック音楽は雅代さんにとって数少ない楽しみでした。1986年から1988年には、ロックイベントへ出演するなど、本格的な音楽活動を始めています。

2004年には、それまで何度か変わっていたバンド名を「JETT SETT」に統一しました。女優の娘として用意された道ではなく、自分で選んだ音楽の世界で長く活動している点が、小川雅代さんの現在を知るうえで大切な部分です。

小川真由美と娘は「徹子の部屋」に出演した?

「小川真由美 娘 徹子の部屋」という情報も注目されています。SNS上では、小川雅代さんが芸能活動を始めた頃、小川真由美さんと一緒に「徹子の部屋」へ出演していたという視聴者の記憶が投稿されています。

ただし、テレビ朝日の現在の公式サイトや信頼できる番組記録では、母娘で出演した回の正確な放送日や内容を確認できませんでした。

母娘で出演したという投稿はある

2026年8月に小川真由美さんの訃報が伝えられた後、SNSでは「娘が芸能界デビューするときに、母娘で『徹子の部屋』へ出演していた」という趣旨の投稿が見られました。

小川雅代さんの公式プロフィールにも、10代の頃に母親とドラマやバラエティー番組で共演していたことが記載されています。そのため、母娘で番組へ出演した可能性はあります。

一方、個人の記憶だけで放送内容や雅代さんの発言、母娘の様子まで断定することはできません。現時点では「母娘共演を見たという投稿はあるが、正確な放送記録は確認できない」という段階です。

小川真由美の娘・小川雅代の現在

2026年現在、小川雅代さんはMAHとしてJETT SETTの音楽活動を続けています。ギターとボーカルだけでなく、作詞、作曲、編曲も担当し、バンドの中心メンバーとして活動しています。

また、母親との体験を語る作家としても知られています。『ポイズン・ママ』の出版後は、親子関係を扱うトークイベントやインタビューにも参加しました。

結婚や夫、子供は公表されていない

小川雅代さんの結婚歴や夫、子供については、本人が公表した確かな情報を確認できません。

公開プロフィールにも配偶者や子供の記載はなく、結婚しているとも独身であるとも断定できない状態です。小川真由美さんに孫がいるという情報についても、裏付けとなる本人発言や報道は見つかっていません。

母の死後も作品への敬意を示した

小川真由美さんは2026年3月26日、急性冠動脈症候群のため鹿児島県内で亡くなりました。86歳でした。

雅代さんは訃報を公表する一方で、母親との関係が最後まで修復できなかったことも隠しませんでした。しかし、小川真由美さんが女優として残した仕事については、はっきりと敬意を示しています。

母親を全面的に否定するのでも、美しい親子愛として塗り替えるのでもないところに、長く複雑な関係と向き合ってきた雅代さんの現在の思いが表れているように感じられます。

小川真由美の娘に関するまとめ

  • 小川真由美さんの娘は小川雅代さん
  • 小川雅代さんは1969年5月25日生まれで、2026年8月現在57歳
  • 活動名はMAHで、読み方は「マー」
  • 父親は俳優の細川俊之さん
  • 小川真由美さんと細川俊之さんの間に生まれたひとり娘
  • 両親は雅代さんが幼い頃に別居し、1973年に離婚した
  • 雅代さんは高校中退後、母親の付き人を経験した
  • 1985年の舞台『二人のベンチ』で女優デビューした
  • モデルやCM、映画、テレビドラマにも出演していた
  • 現在はJETT SETTのギター&ボーカルとして活動している
  • 2012年に母娘関係をつづった『ポイズン・ママ』を刊行した
  • 母娘は約10年間絶縁し、雅代さんは母親の死を約2カ月後に知った
  • 「徹子の部屋」で母娘共演を見たという投稿はあるが、正確な放送記録は確認できない
  • 結婚や夫、子供については公表された確かな情報がない

小川雅代さんは「小川真由美の娘」というだけでなく、女優、モデル、作家、ロックミュージシャンとして自分の表現を続けてきた人物です。母娘関係は最後まで修復できませんでしたが、母親が残した作品への敬意を語った言葉には、単純な確執だけでは表せない親子の歴史がにじんでいます。

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    団塊世代とはなりましたが、老け込むにはまだまだ先の話。
    今は時間の制限も無く、1日置きに介護事業所の送迎車の運転手として勤めながら、適度の運動(ウオーキング程度)と妻・愛猫のクウちゃんと面白おかしく日々を過ごしております。

     

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